今年もNTT大会が始まります。
この大会は6年生にとっては公式戦最後の大会であり、県大会へ勝ち上がる小学生にとっては集大成の大会であります。
過去においては、色々な思い出が残る大会でもありました。
後1勝すれば県大会へ行ける年もありました。
6年生の団員の皆さんは、この大会に思い出が残る大会にして下さい。
特に今年は、経験したことがない収束がつかない新型コロナウイルスになり、5ヶ月間活動ができない時期が続きましたが、団員・保護者・指導者が一丸となって戦ってくれることを団長は祈ります。(R2.10.18 )
第6回 団長の「ちゃんとサッカーしなさい!」(2018.8)
約2年ぶりにアップします。
今回は、第41期卒団生(現6年生)についての思い出です。
入団した当初は7名で活動していましたが、保護者の宣伝効果により多い時は17名で活動していることもありましたが、本人の意思により退団、現在は13名で活動してきました。
41期生は、個性豊かな団員が多かったと思いました。
中には団長に向かって「団長嫌い」と言ったり、お父さんに駄々をこねたり、学年が上に行くに伴い自分の意思を主張する団員がいました。
大会結果は、3年の時の東法人は1次リーグで敗退しましたが、4年生のサーラーカップ、5年生の遠鉄カップ・ホンダカップは全て2次リーグ
に進出しました。
サーラーカップ、ホンダカップではベスト16まで進出しました。
特に2人のトレセンメンバーが入っていたことが大きな戦力になりました。
思い出に残ることとして何と言っても、NTTの予選です。
1次リーグは静大附属に敗れ2位通過で2次リーグ進出対戦チームは、静大附属・カワイ体育教室・可美・中郡・浜北キッカーズ・和地で、このチームから3位までに入れば、県大会32年ぶり出場となりチーム一丸となって戦いました。
初戦のカワイ戦は前半1-0で勝っていましたが、20分過ぎても笛を吹かないので、ベンチから抗議しましたが22分で前半が終了し、その間に2点取られてしまいました。
後半戦は、積極果敢に攻撃し1点をとって2-2の引き分けでした。
初戦のカワイ戦は素晴らしいサッカーをしました。
後の4試合は残念だけど負けて県大会出場はなりませんでした。
中学生になりますが、もっともっとサッカーが好きになってください。
団長からひと言いうとサッカーに関わってほしいと思います。
選手(プレイヤー)をやめても、指導者とか審判員等に関わってほしいと思います。
最後に団長からひと言言わせてもらうと、今年の卒団生は3年生になることで、他のクラブチームへ移籍する団員もいましたが、移籍してもそんなに見劣りするチームではなかったと思いました。
それには、指導者スタッフたちの情熱以外何物もなかったと思います。
今後も益々進化する少年団作りをめざして頑張っていく所存です。
第5回 団長の「ちゃんとサッカーしなさい!」
1年ぶりに団長の「ちゃんとサッカーしなさい!」をアップします。
今回は、ロシアワールドカップ日本代表アスレティックトレーナー 前田弘さんについてです。
前田さんとは、団員のお父さんの中に仕事上の関係で以前からの知り合いの方がいらして、その関係で今までに東京から浜松に3回も来てもらい、当少年団に講演・実技をしてもらいました。
今回ロシアワールドカップ日本代表スタッフとして戦った前田
さんに、保護者の方から「団長、前田さんに激励のメールを送っ
てみては?」と言われ、ロシアへ出発するときと日本に帰ってき
てから激励のメールを送り、浜松和地サッカー少年団への応援メ
ールが届きましたので紹介したいと思います。
~以下、メールの内容です~
応援ありがとうございました。
ワールドカップの舞台で世界第3位を相手に先制し、対等以上に戦ったこと、本当に素晴らしかったと思います。
たたかっていく中で選手は成長していきます。一人一人にフォア・ザ・チームの心が強く出てきます。チームの中に更に小さなチームが生まれる事で、より流動的なプレーが生まれてきました。こうやってチームも個人も成長していくものであると思います。
今回の負けは、まだまだ進化しなさいというメッセージだと思います。プレーだけではなく人間性もそうです。
4年が終わり、次の4年が始まりました。私も頑張ります。40周年記念大会おめでとうございます。
前田さんのメールにもあったように浜松和地少年団が更に進化していくには団員・指導者・保護者が一体となって頑張っていきたいと思います。
今後も是非浜松に来て、団の活動の様子などを見に来てもらえればと思っております。
第6回 団長の「ちゃんとサッカーしなさい!」
約2年ぶりにアップします。
今回は、当少年団第41期卒団生(現6年生)についての思い出です。
自分が一番嬉しかったことは、父さんが卒団生だったことです。
当時自分一人で指導した第1期から第10期の卒団生で中には中体連東海大会に出場した卒団生が和地の少年団に帰ってきて指導者として活動しています。
第5回 団長の「ちゃんとサッカーしなさい!」
1年ぶりに団長の「ちゃんとサッカーしなさい!」をアップします。
前田さんとは、団員のお父さんの中に仕事上の関係で以前からの知り合いの方がいらして、その関係で今までに東京から浜松に3回も来てもらい、当少年団に講演・実技をしてもらいました。
今回ロシアワールドカップ日本代表スタッフとして戦った前田
さんに、保護者の方から「団長、前田さんに激励のメールを送っ
てみては?」と言われ、ロシアへ出発するときと日本に帰ってき
てから激励のメールを送り、浜松和地サッカー少年団への応援メ
ールが届きましたので紹介したいと思います。
~以下、メールの内容です~
応援ありがとうございました。
ワールドカップの舞台で世界第3位を相手に先制し、対等以上に戦ったこと、本当に素晴らしかったと思います。
たたかっていく中で選手は成長していきます。一人一人にフォア・ザ・チームの心が強く出てきます。チームの中に更に小さなチームが生まれる事で、より流動的なプレーが生まれてきました。こうやってチームも個人も成長していくものであると思います。
今回の負けは、まだまだ進化しなさいというメッセージだと思います。プレーだけではなく人間性もそうです。
4年が終わり、次の4年が始まりました。私も頑張ります。40周年記念大会おめでとうございます。
前田さんのメールにもあったように浜松和地少年団が更に進化していくには団員・指導者・保護者が一体となって頑張っていきたいと思います。
今後も是非浜松に来て、団の活動の様子などを見に来てもらえればと思っております。
第4回 「団長のちゃんとサッカーをしなさい。」 2017.7.14 UP
ゴールデンアカデミーU-14メキシコ遠征メンバ-選出
和地サッカースポーツ少年団平成27年度卒団生 新道大貴 君(湖東中サッカー部2年生)が、中学生のサッカー部とジュニアユース全体の県メンバーに選ばれたのは、凄いことです。
新道大貴君もこれに奢る(オゴル)ことなく、更なる飛躍を願っています。
* 新道大貴君(以下ダイキ)と団長との思い出
団長とダイキとの出会いは、小学校1年生の時からで、当時団長の孫もダイキと同級生で和地SSS団員として入団していました。
サッカーをやるに来るのではなく、孫とダイキはケンカをしに来るみたいで、やんちゃなダイキに団長も手を焼いていました。
7/8(土)和地小グランドで、ダイキと会いメキシコ遠征メンバーに選ばれたのを知りました。「凄いな頑張って来いよ」言いました。
7/9役員会でダイキの遠征メンバーに選ばれた話をしたとき、「あのダイキが」と思い出して思いがこみ上げて思わずつい泣いてしまいました。
ダイキが頭角を表わしたのは、5年生の浜松トレセンに選ばれた頃からで、当時のトレセンコーチコーチが団長のところに来てから「あの子は、いいセンスを持ってます。」と言われました。
団長が一番印象に残ったのは、ダイキが6年最後のNTTカップ3次予選でした。
2次予選になると相手選手も必死に戦ってきますので、3次予選では満身創痍で戦うダイキの姿が印象的でした。(結果はあと一つ勝てば県大会に25年ぶりに出場できた)
勝つことも大事ですが、最後の最後まで戦う姿勢をもって挑んでもらいたいと思います。
和地サッカースポーツ少年団現団員も第2ダイキに続く選手が出てくれることを願っています。
「ガンバレ浜松和地サッカースポーツ少年団」
「世界へはばたけダイキ!」!
第3回 昔の保護者と今の保護者 2017.6.27訂正UP
4ケ月振り団長の思いを書いてみたいと思います。
創設当時団長は、結婚したころですので、29歳ころですので当時の保護者の方は30代後半の保護者だったと思います。
コーチだった自分は土日になると、保護者の方々が自宅(当時湖東団地の市営住宅に住んでいました。)にきてお酒をのんだり、麻雀したりで良くコミニケションが取れていて、保護者からもかわいがられていたと思いました。
ある時6年生の子がダラダラ練習をいたので、「もう練習やらなくていいから帰れ」と言いました。
サッカーが好きな子でしたので、団長も目にかけていました。
その夜に母親から電話で「ダラダラ練習しているうちの子悪いと叱ってやりました。今、子供に謝りますからと言って電話口で、明日から練習一生懸命頑張ります。ごめんなさい。と電話口で言いました。」
自分は「いいですよ!たまには子供もこういうことがありますよ!」と母親に言ってやりました。
当時中学校にはサッカー部がなかったので、バレーボール部に入りました。
その子は、教員になり某私立高校バレー部の監督で現在も活躍しています。
もしサッカー部があったら、サッカー部の監督をしていたかも!
卒団した団員には、競艇選手、オートレース選手、床屋さん、植木職人などいろいろな職業に就いていきましたが、さすがにまだ、Jリーガーは出ておりません。
来年で創設40年を迎えますが、前に書いたような少年団を温かく包んでくれる保護者もいれば、自宅に怒鳴り込んでくる保護者もいましたが、大体少年団の考えを言えば分かってもらえたものでした。
今の保護者は、団長とは、丁度保護者たちの親世代です。
このゼネレーションギャップを埋めるには、携帯や特にメールやラインによる、顔を合わせない弊害による保護者とのコミュニケーションを常にとることが大事だと思います。
団長も人間ですから時には、きついことを団員に言いますが、これも団員のことを思い言っているので、是非保護者の皆さんもご理解して下さい。
今までは、移籍承認届を四種協会に提出しないと、移籍が認められませんでしたが、今年度からは、移籍自由ですので、当少年団もより一層しっかりとした運営をしなければなりません。
「団員の団員による団員のための少年団」をコンセプトに団員・指導者・保護者が三位一体となって活動して行きましょう!!!!!
第2回 和地サッカースポーツ少年団誕生 2017.2.17
団長のプロフィール
1949年2月5日 旧浜名郡積志村(現東区積志町)で生まれ、父親の仕事の関係で篠原町で小・中・高を過した。
中学1年生の時、親父に「なんでもいいから運動部に入れ」と言われるが、自分のこの体格では(当時盛んだった)野球部に入ってもレギュラーには絶対になれないので、他の部活を探してみました。バレーボール、バスケットボールは、身長が低いので厳しい。結局、ある先輩から「サッカー部に来い!」の一言でサッカー部入部し、サッカーに親しんで学生時代を送ることとなりました。
高校を卒業後、浜松市役所サッカー部に在籍し、全国都道府県静岡県予選大会に参加した。19××年に結婚し、湖東町市営住宅に移住する。昭和51年11月長男が生まれた。
浜松市消防本部(現在の浜松市消防局)に勤めていたので、非番の日はマラソンで和地小学校のところまで来ていました。グランドでは子供たちがサッカーをしていたので、一緒にボールを蹴ったりしていました。そこで現在の浜松和地SSS創設者にあたる森和光先生(当時の和地小の先生)と出会い、「少年団を作りましょうか!」の一言で、一気にチーム創設へと動いていくことになりました。1978年4月、4年生8名、3年生8名で、和地サッカースポーツ少年団として活動をスタートしました。その中には、現・橋本動物病院医院長がおり、そのお父さんが初代父母の会代表となりました。
当時は、学校からの協力をなかなか得られず、そのためボールを置く場所もなく、橋本さん倉庫にボール入れを置かせてもらいました。又、ソフトボールが盛んだったので、和地小のグランドでサッカーの練習をするには困る時もありました。
当時は平日も練習をしていました。当然ナイター設備はまだありませんでした。暗くなるのが早い冬の時期は、保護者が車のライトでグランドを照らしてくれ、わずかな灯かりのなかで練習した時もありました。
今回の「団長のちゃんとサッカーやりなさい!」では、団創設の頃と比較すると、現在はなんて良い環境の中でサッカーをさせてもらっているかを感じて活動してほしいと思い書いてみました。だから、もっともっとちゃんとサッカーやりなさい!!
次回につづく
第6回 団長の「ちゃんとサッカーしなさい!」
約2年ぶりにアップします。
今回は、当少年団第41期卒団生(現6年生)についての思い出です。
自分が一番嬉しかったことは、父さんが卒団生だったことです。
当時自分一人で指導した第1期から第10期の卒団生で中には中体連東海大会に出場した卒団生が和地の少年団に帰ってきて指導者として活動しています。
第5回 団長の「ちゃんとサッカーしなさい!」
1年ぶりに団長の「ちゃんとサッカーしなさい!」をアップします。
前田さんとは、団員のお父さんの中に仕事上の関係で以前からの知り合いの方がいらして、その関係で今までに東京から浜松に3回も来てもらい、当少年団に講演・実技をしてもらいました。
今回ロシアワールドカップ日本代表スタッフとして戦った前田
さんに、保護者の方から「団長、前田さんに激励のメールを送っ
てみては?」と言われ、ロシアへ出発するときと日本に帰ってき
てから激励のメールを送り、浜松和地サッカー少年団への応援メ
ールが届きましたので紹介したいと思います。
~以下、メールの内容です~
応援ありがとうございました。
ワールドカップの舞台で世界第3位を相手に先制し、対等以上に戦ったこと、本当に素晴らしかったと思います。
たたかっていく中で選手は成長していきます。一人一人にフォア・ザ・チームの心が強く出てきます。チームの中に更に小さなチームが生まれる事で、より流動的なプレーが生まれてきました。こうやってチームも個人も成長していくものであると思います。
今回の負けは、まだまだ進化しなさいというメッセージだと思います。プレーだけではなく人間性もそうです。
4年が終わり、次の4年が始まりました。私も頑張ります。40周年記念大会おめでとうございます。
前田さんのメールにもあったように浜松和地少年団が更に進化していくには団員・指導者・保護者が一体となって頑張っていきたいと思います。
今後も是非浜松に来て、団の活動の様子などを見に来てもらえればと思っております。
第1回 昔と今 2017.1.30
団長と当時の父母会長の橋本さん(橋本動物病院)、和地小の森先生が中心となって和地サッカースポーツ少年団(現:浜松和地SSS)を立ち上げました。
選手一人一人の技量は、創設時と今では比べ物にならないくらい進歩していますが、団長が一番気にかかるのは浮き球を処理する力です。当時は、ソフトボール・ミニバス・ポートボール等盛んに行われていた時期でしたので、ボールキャッチ・落下点の位置の適応処理ができたと思われます。
当時の和地小学校は体育のモデル校だったので、優秀な体育の先生が多くいて、スポーツが盛んな学校でもありました。
今は、浮き球の処理ができない人が非常に多く感じられます。ボールをちゃんと巧く処理できるよう練習してくださいね!
今回の団長のちゃんとサッカーやりなさいはここまでです。これから様々な視点で書いていきたいと思います。